Aktion T4/T4作戦

鈴木知史

ある日私は、路上で大声で叫び、倒れ込んでしまった。最初は他の何者かが叫んだのだと思った。他人の叫びを聞いたように思ったのだ。しかしそれは自分の口から出た声だった。それからというもの、私の身の回りでは様々な怪現象が起こり(妄想と幻覚であった)、精神科病院に運び込まれることとなった。

その3ヶ月ほど前、映画監督である私は、短篇映画を製作していた。クランクアップの日は、大雪だった。私は、雪の吹きすさぶ中、一艘の渡し船が主人公たちを乗せて、川に乗り出してゆくカットを撮れてとても満足だった。問題は、撮影後の編集も終わり、MA(音の仕上げ作業)に入ろうかという頃に起こった。

この映画では、主演の一人に、感音性難聴の女性をキャスティングしていた。そのため彼女の発話は健常者とは違う。独特のイントネーションがある。「このことに彼女自身が気付いているのだろうか?伝えたほうがいいのではないか?」という声が、スタッフの一部から上がった。また別のスタッフからは、「とりたてて伝える必要はないのではないか?観客からそのことに質問の声が上がったら、その都度説明していけばいい」という意見もあった。こういうときに決断を迫られるのは監督である。結局私は判断がつかず、意見の板挟みとなり苦しんだ。これが、路上での叫びの原因だったのであろう。

入院時、私は満足に映画を監督することができなかったことを残念に思っていた。自分の苦しみをつらい思いをしている他人に背負わせたくないという思いからか、これらの経緯を他の患者に話すこともしなかった。

病院の一角に、小さな喫煙所があった。そこには喫煙する入院患者が集まり、一種の社交上のような雰囲気でもあった。ときにはぎゅうぎゅう詰めになりながら、私は自分のことは話せなかったが、他の患者の身の上話をひたすら聞いていた。すると自分の悩みなどがどうでもよくなり、自分が心地よく煙のように消えていく感覚があった。今時、病院に喫煙所があるのも珍しい。喫煙所の壁は黄ばんでおり、換気口からは紫煙を排出するゴーっという音が響いている。

「ガス室みたいだな」

私はひとり、そんなことを思った。記憶の片隅にあったこんな話が思い起こされた。1939年 10月。ナチス・ドイツは、「劣等分子」を安楽死させる、「T4作戦(テーフィア作戦)」を実行に移す。この作戦で殺害された大半は、「民族の血を劣化させる」とされた精神障害者たちであった。

彼らはガス室に入れられて処分された。その方法には、建物外に固定された自動車の排気ガスをホースで引き、その一酸化炭素中毒効果が利用された。精神科病院の喫煙所という小部屋で、私たちは、ひたすらタバコの煙を換気口から外に送り出そうとしていた。それはひっくり返ったガス室のようであった。

ガスを逆流させる私たちは何をしていたのだろうか。あの小さな喫煙所で、外の世界を健康的に生きる人々を虐殺しようとしていたのだろうか。あるいは私は、健康なふりをして映画を撮る、以前の自分を抹殺しようとしていたのだろうか。

しかし、外の世界へガスが出て行ったところで、空気に混じり、霧散してしまうには違いない。果たして、ダクトから放出されるかすかな匂いに、気づく者はいるだろうか?